今の国連(国際連合)は、第二次世界大戦の戦勝国で構成されています。日本は常任理事国入りを一応目指してはいますが、今後も難しいでしょう。
しかし、日本は昔、国連(国際連盟)の常任理事国でした。
なんだか今の日本からすると信じられませんが(^^;
国際連盟の発足当時、日本はアジアで唯一の列強であったため、日本も常任理事国でしたが、日本はその後常任理事国でありながら、その地位を捨て脱退しました(もったいない!)。
でも、それはなぜでしょうか?
その頃の日本史は、様々な事が起こった激動の時代ですが、現代の日本としても、国連からの脱退理由がとても参考になるんです。
そこで今回は、なぜ日本が国際連盟を脱退したのか?その理由について、分かりやすくまとめてみました♪
国際連盟とは?事務局次長に日本人も
国際連盟とは、第一次世界大戦の教訓を得て、史上初の国際平和機構として、大戦後の1920年に発足したものです。
その発足当時からの常任理事国であり、事務局次長に日本人が任命されるなど、中心的な役割を担っていた日本がなぜ脱退してしまったのか?
理由と一緒に、当時の世界情勢を観ていきたいと思います。
国際連盟の発足当時の常任理事国は4カ国でした。
- イギリス
- イタリア
- 大日本帝国
- フランス
その後、ドイツ、ソヴィエトも加わりました。
- 原加盟国数:42カ国
- 最大加盟国数:60カ国
日本は列強としての国力と、当時紛争の絶えなかったヨーロッパから離れていたことから、第三者の立場での公平な調停が行えると評価されたため、常任理事国入りを果たしています。
1934年に加盟国数が60カ国になりましたが、以降脱退や除名があり、加盟国数は減少しました。
ちなみに、連盟の事務局次長を務めていた人物は、新渡戸稲造(にとべいなぞう)さんです。旧5千円札の肖像画と言えば有名ですね^^また、「武士道」の著者としても有名です。1920年~1926年の7年間、次長を務めていました。
それでは、次で脱退の理由を見てみましょう。
国際連盟の脱退の理由とは?経緯は?
国際連盟を脱退した理由は、日本の権利(満州国建国)が国際社会に認めてもらえなかったからブチ切れて脱退した、です。
我慢せずに国際社会に対して、怒ってしまったわけですね。どんな経緯があって日本は怒ったのでしょう?
1931年に、関東軍(日本)の自作自演の策略によって起こった、日本が所有していた鉄道の爆破事件である、柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)が起こります。そしてそれを機に、日本が満州全土を制圧する、満州事変が起こります。
しかし、満州事変の結果である、満州国建国に反発した中国※は連盟に提訴します。
それを受けて連盟は、イギリスのリットン伯爵を団長とした「リットン調査団」を満州に派遣しました。
日本の作った満州国が正当なものであるかどうか?のチェックですね。
結果、リットン調査団は、日本の満州での「特殊権益」は認めたものの、満州事変は正当防衛には当たらないとして、日本に満州を返還するようにと、「リットン報告書」を国際連盟に提出します。
1933年に、リットン報告書を基に国際連盟特別総会で審議され、最終的に日本以外の総会に参加した全加盟国が、これ(満州国を認めない)に賛成しました。
なんと、賛成42 対 反対1(日本のみ)!
100%ダメ!という状況ですね(^^;
この時に、日本の代表として全権を任命され総会に参加していた外交官・松岡洋右(まつおかようすけ)は、「国連の決定は、日本は受け入れることができない!」と決別を意味する演説を行い、場を退場しました。
ほぼ全会一致で、日本の非が認められてしまったので、日本国としては脱退やむなし、という決定だったようです。。。
しかしこの松岡さん、帰国の船の中で、「ヤッベエエエ!失敗した~!!」と意気消沈されていたそうですが、松岡さんの乗る船が港に着くなり、日本国民からは拍手喝采※で出迎えられたそうです。
その勢いのままなのか、引くに引けない状況だったのか・・・
後に日本は正式に脱退宣言をする事になります。
リットン報告書が審議された特別総会の2ヵ月後。正式に連盟脱退を日本が表明しています。
この脱退が、その後の戦争への重要なターニングポイントですね。
脱退宣言に猶予期間が設けられたので、正式に脱退したのは更に2年後の1935年でした。
脱退表明をしたからと言って、連盟と完全に関係を断ったわけではなく、猶予期間中も加盟中に払っていた分担金を払い続けていましたし、アヘンの取り締まりなど、国際警察活動に協力したりと、一定の協力関係を築いていました。
また、連盟正式脱退後も、1940年まで国際労働機関には加盟していました。
しかし、1938年のミュンヘン会談で、連盟が日本への制裁発動を認めたため、今までに行っていた諸機関への協力を廃することに決定しました。
これにて、連盟との関係は完全に断たれたと言えます。
時系列にまとめますと・・・
- 1931年:関東軍(日本)が鉄道を爆破し、中国のせいにする
- 満州事変へと発展
- 1932年:日本が満州を制圧し、満州国を建国
- 中国が猛抗議。連盟へ提訴
- 1933年:日本の非が国際連盟で全会一致で認められる
- 日本はそれを理由に脱退を表明
- 1935年:日本は正式に国連を脱退
- 1940年:日本はドイツ、イタリアと日独伊三国同盟※を結ぶ
この後は、皆さんご存知アメリカ、中国、イギリス、オランダ、フランス、オーストラリア、(最後はソ連も)などの大国群を敵に回し、絶対に勝てない第二次世界大戦に突入していきました。
無謀極まりない戦争です。。。
しかしここから、現代の日本は教訓を得ることができます。
孤立と情報不足!国連脱退から日本が教訓とすること
日本は満州国を認められなかったから、それを不服として国連を脱退し、その後国際社会と対立、戦争へと突き進んでいきました。
日本は常任理事国として活動するほどの列強でありながら、そのわずか30年後には東京や他の主要都市は空襲で焼け野原、原爆を2発も落とされ、沖縄はアメリカがその後数十年も占領、憲法もGHQ主導で決まるという、無残な敗戦国になってしまいました。
もう、大失敗です。
ちなみに近年で、大国が国際社会から認められずに、孤立してしまった例を、私達は目撃しています。
- 2003年:諸外国が反対したイラク戦争
戦争を強引に主導したアメリカは、その後国際社会から信用を失いました。 - 2016年:中国の南シナ海占領
中国は、南シナ海のサンゴ礁を埋め立て、強引に軍事基地を建設しました。それを不服としたフィリピンは国際司法裁判所に提訴し、中国は敗訴。
中国は「そんな判決は認めない!」とブチ切れて孤立しています。
また、満州事変の結果の満州国を1国も認めなかったことは、日本が間違っていたから、不正なことをしたから、だけではありません。根回し(広報活動・宣伝活動)が不足していたからです。
根回しに必要な情報を集める情報力・諜報活動も足りていなかったのでしょう。
全会一致で糾弾されるような審議をされてしまう愚かさ、この点が大日本帝国の失敗です。
そのため、日本は今後、国際社会との協力関係を維持しつつ、情報を集める大規模な組織が必要です。
アメリカはCIAやNSA、ロシアはFSB(旧KGB)、イギリスはSIS、イスラエルにはモサドなどの諜報機関があります。俗にいうスパイが所属する国の組織です。
日本には内閣情報調査室(内調)がありますが、CIAの職員約2~3万人に対して、内調の職員は約200人とのことです。
非常に少ないですよね( ̄▽ ̄)複雑な世界中の情報を200人で収集・分析するには限界があります。
国際社会からの孤立は、日本は当面大丈夫そうですが、諜報力についてはもっともっと発展させて、情報を活用していくのが今後は超重要ですね!
さいごに
国際連盟からの日本脱退の理由でした!
本当に、第一次世界大戦後からの世界史は大事件ばかりです(゜o゜)
特にこの時代は目まぐるしく情勢が変わるので、当時は大変だっただろうな・・・と思います。
このような過ちを絶対におかさないよう、国民1人1人が政治や国際情勢に興味を持ってもらえたら、と思います^^
まず現代とは世界が違う。別の星と思っていい。
日本とタイ以外の有色人種はほぼ全て白人の奴隷だった。金で売り買いされる対象だった。
三流ラノベの異世界みたいなワールドが、つい70年前のこの地球の常識だった。
有色人種日本人がロシア艦隊を撃破したニュースは、白人と有色人種に衝撃を与えた。
白人様は日本がヤバいことを知り、国際連盟に入れてやった。
本当は奴隷候補であるはずの有色人種を、だ。
白人がお互い奴隷を奪い合ってたのが第1次大戦だ。連盟はその後にできて、日本は脱退した。
日本以外の有色人種が奴隷のままの世界で、日本だけが有色人種を裏切り、白人側には付けない。
日本は白人に断固対抗する結論に至った。それまでは「例え支配側の白人側に甘んじて」も
自存自衛を優先したが、ABCD包囲網、ハルノートが起きた。
「戦争する事なく日本は奴隷になれ」・・・。戦争させてももらえない、無茶な隷属通告だった。
開戦。日本はアメリカの攻撃をかわしながら、アジアにインフラを施し、
戦後、自分らで戦い、自立できるよう教育した。
結果、日本国民は原爆と空襲に屈したが、白人は全ての植民地を失った。
原爆まで使って日本に勝ったのに、本来の目的「この戦争が終わったら奴隷が増えて生活が楽になる!」
は水の泡になった。こういう士気でつらい戦争を戦ってたのにだ。その報復が私刑「東京裁判」。
なるほど、そういう面もあるのですね。
私が言いたいことは、現代こそは国際協調を忘れずに、です。
おっしゃる通りにこの世は所詮弱肉強食です。なので、強国群に一国で立ち向かったのは愚の骨頂です。
太平洋戦争で勝ち目のない戦争に立ち向かった日本は、やはり愚かだったと考えます。
有色人種の奴隷解放は、日本が多くの人命を失い、2発も原爆を落とされて、沖縄をとられてまですることではありません。絶対に。
当時の日本はしたたかな普通の国でした。あくまで自国の国益を追求した結果があれです。国益の追求はほどほどにしないといけません。
全くその通りだと思います
コメントをありがとうございます。
太平洋戦争は、日本が生きて行く必要性に迫られ、起こしたものと思います。
ただ、残念なことは、日清・日露戦争の勝利と当時の軍備力を過信したことです。
当時の山本五十六は、「一年間は暴れてみせるが、それ以上は、無理」と言ったと語り継がれていますが、彼のように、しっかりと世界を見る目を持った人が少なかったことも、大きな敗因と思います。
が、いずれにしろ、最終的には、生産力の差で敗れたことでしょう。
この戦争は、「勝つ気なら、相手を見て戦え」と、私達に教訓として残してくれました。
> 太平洋戦争は、日本が生きて行く必要性に迫られ、起こしたものと思います。
ここは賛同できないですね。他国の地に傀儡の満州国を作るのは、やりすぎでは?
「生きていく必要性」という言葉は色々なものを許可してしまいそうで怖いです。
> この戦争は、「勝つ気なら、相手を見て戦え」と、私達に教訓として残してくれました。
あとは国際社会から孤立するな、ですね。
>ここは賛同できないですね。他国の地に傀儡の満州国を作るのは、やりすぎでは?
>「生きていく必要性」という言葉は色々なものを許可してしまいそうで怖いです。
今、生きていく人間としては恐らく人のものを奪うのは良くないという考えで正しいと思うが
当時の人は、清が列強に侵略され、日本は不平等条約を結ばされたことを肌身で感じて育った世代の行動としてはしょうがなかった気がします。
果たして国際連盟から脱退しなかったらと考えるのは難しいですが、他国の状況を歴史としてみれる今どちらに転んでも日本には厳しい状況でしたね
> 今、生きていく人間としては恐らく人のものを奪うのは良くないという考えで正しいと思うが当時の人は、清が列強に侵略され、日本は不平等条約を結ばされたことを肌身で感じて育った世代の行動としてはしょうがなかった気がします。
確かにその一面はありますね。ロシアも今とは違ってイケイケの猛獣って感じだったでしょうし、防波堤を日本の外側に築けたら国防力は大きくアップしますよね。
第一次世界大戦後、もう少しうまく立ち回ってほしかった、という感じもしますが、今の国際情勢の中の日本の立ち位置はとても素晴らしいと思います。この点は先人に感謝ですね。
ですよねww